続100名城

【続100名城】毛利水軍の拠点となった海城・三原城【広島県】

続100名城、今日紹介するのは広島県です!

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三原城

三原城は、広島県三原市にあったお城で、毛利水軍の拠点となった瀬戸内の海城です。

築城主は毛利一門の小早川隆景です。

小早川隆景
戦国時代から安土桃山時代にかけての武将。竹原小早川家を継承し、後に沼田小早川家も継承して両家を統合する。

毛利元就の三男で、次兄の吉川元春と共に毛利両川として戦国大名毛利氏の発展に尽くし、長兄の遺児である若年の当主・輝元を支え、毛利氏の全盛期を築き上げた。

豊臣政権下では、五大老の一人に任じられ、豊臣秀吉の養子、羽柴秀俊(小早川秀秋)を養子として迎え、家督を譲っている。

隆景の訃報に接した黒田如水(黒田官兵衛)に「これで日本に賢人はいなくなった」と言わしめた人物である。

なお、陰徳太平記に、美貌であった隆景と大内義隆の衆道関係の記録が残っている。

毛利両川(もうりりょうせん)
毛利元就によって確立した軍事、または政治組織の通称。

この組織は、吉川氏には次男の元春、小早川氏には三男の隆景を養子として送り込み、それぞれの正統な血統を絶やして、それぞれの勢力を吸収するのに成功し、中国路制覇を果たすのに大きな役割をした。

大善寺と月渓院
城下にある大善寺には、徳川幕府3代将軍徳川家光の落胤とされる月渓院の墓所があり、将軍家菩提寺である増上寺の寺号を賜り増上山大善寺とされ、三つ葉葵の使用が許されている。

月渓院は、広島藩筆頭家老職で浅野家一門の三原浅野家3代浅野忠真の側室なのだが、何故一家老に過ぎない浅野忠真の元へ、徳川家縁の姫様が側室として輿入れしたのか?

それは、月渓院(月姫)が浅野忠真に一目ぼれしてしまったからである。

また、3代将軍徳川家光の乳母であった春日局が、当時小早川秀秋の補佐役であった夫・稲葉正成と共に三原城で過ごしていたことも、月渓院輿入れに関与していると考えられている。(月渓院は春日局に御典医の娘として育てられていた)

三原城 アクセス

三原駅から徒歩で5分

三原城 スタンプ設置場所

三原観光協会、みはら歴史館(期間限定)

新高山城

新高山城は現在の広島県三原市本郷町に建てられた日本の城です。

三原城同様、小早川隆景が築城主です。

三原城を築城する際に新高山城の石垣が運ばれており、三原城が完成した際に本拠が移されています。

新高山城 アクセス

JR本郷駅から車で5分

新高山城 スタンプ設置場所

本郷生涯学習センター