続100名城、今日紹介するのは千葉県です!
本佐倉城
本佐倉城
酒々井町にある古くからの千葉氏の城、戦国時代には北条方の拠点として整備された。現在では土塁・堀切・空堀など比較的保存された千葉県有数の廃城となっている
おススメ度A#続日本100名城 #本佐倉城 pic.twitter.com/kVNeV42qIy— 装鉄城 (@rZVdzXGF3Op2U8G) 2018年12月20日
本佐倉城(もとさくらじょう)は千葉県印旛郡酒々井町本佐倉と佐倉市大佐倉にまたがる将門山に築かれたお城で、下総守護千葉氏が本拠とした巨城です。
三代・千葉勝胤の時に最盛期を迎え、下総の政治・経済・文化の中心となるも、豊臣秀吉の小田原征伐において、北条氏に味方したため滅亡しました。
印旛沼
印旛沼の龍伝承
千葉県の印旛沼付近に伝えられている雨を降らせたため殺された龍の伝承。
雨を降らせた竜
昔、印旛沼のそばに、人柄の良い人々が住む村があった。印旛沼の主である龍は、人間の姿になってしばしば村を訪ねては村人達と楽しく過ごしていた。ある年、印旛沼付近はひどい旱魃に見舞われた。雨乞いは功を奏さず、水田は干からびて、村人達は餓死を覚悟した。そのとき龍が村に来て、村人達から親切にしてもらった恩返しとして雨を降らせること、しかし大龍王が降雨を止めているため雨を降らせれば自分は体を裂かれて地上に落とされるだろうことを話し、姿を消した。間もなく空が雲に覆われて雨が降り出した。喜んでいた村人達は、龍が天に昇って雲の中に消え、直後に雷鳴と共に閃いた稲妻の光の中で龍の体が三つに裂かれるのを見た。村人達は龍の事を思って嘆き、翌日、皆で龍の体を探し出した。龍の頭は安食で、腹は本埜で、尾は大寺で見つかった。村人達はそれぞれの場所に寺を建てて龍の体を納めた。それが龍角寺、龍腹寺、龍尾寺である。
※wiki
三つざきにされた龍神
昔、温かな夜には印旛沼からはしばしば赤い火の玉が現れて北へ向かった。近隣の人々は、龍神が安食村の龍閣寺に明かりを灯しに行くのだと話し合った。ある年、旱魃のため龍神に雨乞いを行ったが効果はなかった。3日目の夜が明けたとき、一帯の旱魃に見かねた龍が老人の姿となって印旛沼から現れ、高齢のため雨を降らせなくなったが雷神に頼んで降らせてもらう、と話して姿を消した。たちまち空が曇って稲妻を伴う豪雨となり、枯れていた作物が蘇った。人々は喜んだが、間もなく、龍閣寺に2本の角の生えた龍の頭が落ちているとの知らせが届いた。その後、印西の地蔵堂で龍の腹部が、ずっと離れた大寺村で龍の尾が見つかった。人々は、雨を降らせるために龍神がその体を雷神によって3つに分断されたのだと悟り、龍閣寺を龍角寺と改め、龍腹寺と龍尾寺を建てて、龍神の事を忘れまいとした。その後も印旛沼からは赤い火の玉が現れ、3つに分かれてこの3つの寺の方へ向かった。人々は、龍神の魂が自身の体を納めた寺に龍灯を灯しに行くのだと話し合ったという。
※wiki
上記の民話に登場する龍角寺、龍腹寺、龍尾寺とは、千葉県印旛郡栄町の龍角寺、同県印西市の龍腹寺、同県匝瑳市の龍尾寺です。
本佐倉城 アクセス
京成酒々井駅から徒歩で20分
本佐倉城 スタンプ設置場所
酒々井町中央公民館、京成本線大佐倉駅
大多喜城
大多喜城は、小田喜(おたき)城の跡地に、豊臣秀吉による小田原平定後に徳川四天王の一人、本多忠勝が築いたお城です。
本多忠勝
戦国時代の武将。徳川四天王・徳川十六神将・徳川三傑に数えられる。愛槍は「蜻蛉切」。
忠勝が参加した合戦は大小合わせて57回に及んだが、いずれの戦いにおいてもかすり傷一つ負わなかったと伝えられている。
織田信長には、「花も実も兼ね備えた武将である」と侍臣に紹介され、豊臣秀吉には「日本第一、古今独歩の勇士」と称されたほどの人物。
三木谷浩史楽天会長兼社長は本多忠勝の子孫にあたる。
蜻蛉切
穂先に止まった蜻蛉(とんぼ)が真っ二つになったという逸話からこの名が付いた「天下三名槍」の一つに数えられている名槍。
大多喜城は工事のため閉館していましたが、平成30年8月4日(土)より再開館しています。
大多喜城 アクセス
いすみ鉄道 デンタルサポート大多喜駅を下車徒歩約15分
大多喜城 スタンプ設置場所
千葉県立中央博物館大多喜城分館一階