続100名城、今日紹介するのは群馬県です!
名胡桃城
名胡桃城(なぐるみじょう)は、群馬県利根郡みなかみ町下津にあったお城で、沼田城の攻略拠点として武田氏に命じられた真田氏が築城しました。
豊臣秀吉の仲裁で、名胡桃城は真田氏、沼田城は北条氏のものとされましたが、この裁定を不服とした北条氏は名胡桃城へ侵攻(名胡桃城事件)し、これが秀吉の小田原征伐の引き金となりました。
名胡桃城事件
豊臣秀吉が大名間の私闘を禁ずる「惣無事令」を発令した後に起きた事件。
真田昌幸が「祖先墳墓の地」であると主張した名胡桃城を含めた全体の三分の一は真田領に、それ以外の沼田城を中心とする三分の二は北条領と定められた。(真田氏の発祥の地説は真田家御事蹟稿などで否定されている)
しかしのその裁定に納得できなかった北条氏が名胡桃城代鈴木重則の家臣である中山九郎兵衛を寝返らせ、偽の書状で城代鈴木重則を上田城に呼び寄せた隙に名胡桃城を占領した。(その後この事態に恥じた城代鈴木重則は切腹する。通常切腹は座って行われるものだが、城代鈴木重則は立腹(立ったまま切腹)した忠義の武士であったという記録が自害した地、正覚寺に残されている)
こうして、豊臣秀吉による小田原征伐の引き金が引かれることになった。
なお、当時関白であった秀吉は、天皇の施策遂行者として臨んだ戦になった。
名胡桃城 アクセス
JR東日本上越線後閑駅から車で7分
名胡桃城 スタンプ設置場所
名胡桃城址案内所
沼田城
沼田城は群馬県沼田市にあったお城で、沼田顕泰が築いたとされます。
関東支配の重要拠点として北条氏、上杉氏、武田氏、徳川氏が争奪戦を繰り返し、最終的には武田氏臣下の真田氏の居城となりました。
小松姫逸話
小松姫(稲姫)は徳川四天王・本多忠勝の娘であり真田昌幸の長男・真田信之の妻。
関ヶ原の戦いの直前、真田氏は父・昌幸と次男・信繁(幸村)は西軍、夫・信之は東軍につくことが決した。父・昌幸は「沼田に寄り孫に会いたい」と言い出し、沼田城を訪れるも、小松姫は「たとえ舅であっても敵である」と、武装した姿で対応し城門を開かず追い返した。
父・昌幸には沼田城をそのまま奪取する意図があったとも言われており、小松姫はそれを見越した上で穏便に解決したとも言われている。
稲姫は戦国無双にも登場していますね!
沼田城 アクセス
JR沼田駅から徒歩で15分
沼田城 スタンプ設置場所
沼田市観光案内所
岩櫃城
岩櫃城(いわびつじょう)は、群馬県吾妻郡東吾妻町にあった日本の山城です。真田幸隆が苦杯をなめた関東三名城の一つに数えられています。
岩櫃城 アクセス
JR群馬原町駅から徒歩で60分
岩櫃城 スタンプ設置場所
平沢登山口観光案内所(4~11月)、東吾妻町観光協会(12~3月)