続100名城、今日紹介するのは奈良県です!
大和郡山城
大和郡山城は奈良県大和郡山市にあったお城です。豊臣秀吉の実弟である豊臣秀長の居城でした。現在は桜の名所として、日本さくら名所100選に選定されています。
豊臣秀長
豊臣秀吉の弟。
110余万石の大名。官位は従二位権大納言で大和大納言と尊称された。
温厚な資質で、秀吉の欠点を補いよく助け、その偉業を成さしめた人物。
秀長の寿命が長ければ、豊臣の天下を永く継続させることがあるいはできたかもしれないと言われている。
秀長の男子の実子は夭折しており、養嗣子の甥である秀保に家督を継がせるも、秀保が17歳で死去していることからお家断絶となる。
源九郎稲荷神社
源九郎稲荷神社⛩
義経が兄頼朝に追われ、吉野山まで逃げる道中、佐藤忠信に化けた白狐が、静御前を守り通した。義経はその白狐の忠義に感服。狐の意中の物は、親の皮で出来た御前の鼓であったが、それを知った義経は、自分の名を与えて「源九郎」と名乗ることを許した。#写真好きな人と繋がりたい pic.twitter.com/DRTcVwfh78— てんてん (@nOJXqdusqhlNzsG) 2018年2月21日
大和郡山市には、源九郎稲荷神社があります。
源九郎稲荷神社は小さな稲荷ではありますが、日本三大稲荷のひとつに数えられているほか、近畿二大稲荷や関西三大稲荷に数えられることもあるお稲荷様です。
翁の姿をした源九郎狐が僧の夢枕に立ち、郡山城に自分を祀ってくれたら城の守護神になろうと告げたことを豊臣秀長に伝えたことで、城内竜雲郭に稲荷が創建されたと伝えられています。
忠臣狐伝説
源義経が兄・頼朝の追ってから逃れ吉野に落ちのびた時、白狐が義経四天王の一人・佐藤忠信に化け、側室・静御前を守り抜いてくれました。その謝意として稲荷に自分の名である「源九郎」の名を贈ったという伝説が社の名の由来となっています。
妖刀小狐丸伝説
菅田明神の境内に住む小狐が、源九郎狐の加勢を得て、村人を苦しめている大蛇を退治したところ、大蛇の尾から宝剣が見つかり、村人はこの宝剣を「小狐丸」と名づけ、天理の石上神宮へ奉納したと言われています。
小狐丸
平安時代の三条宗近作と言い伝えられている日本刀で、三条宗近の氏神である稲荷明神が童子に化けて宗近と共に作ったと伝えられています。
実在しない架空の刀と言われています。
毎年お城まつりの時には、子供達が白衣に狐の面をかぶり、町中を練り歩く「白狐渡御」の行事が行われています。
大和郡山城 アクセス
近鉄郡山駅から徒歩で10分
大和郡山城 スタンプ設置場所
柳沢文庫
宇陀松山城
宇陀松山城(奈良県宇陀市)
元は秋山氏の居城。1585年以降、豊臣家配下の大名が入り、関ヶ原の戦い後は福島高晴が入り改修した。1615年に高晴が改易されると廃城になった。
①西側の郭下の横堀
②南西虎口部(雀門跡)
③本丸と天守郭
④二ノ丸から南東虎口部(大門跡)、大御殿跡、天守郭を見る pic.twitter.com/qAVNKtdCdT— 橘康一 (@sengokuage2015) 2019年1月20日
宇陀松山城(うだまつやまじょう)は奈良県宇陀市にあったお城です。
宇陀松山城は宇陀郡を領分する有力国人宇陀三将(秋山氏、芳野氏、沢氏)の一人、秋山直国が居城として古城山に山城(秋山城)を築いたのに始まります。
城下町は重要伝統的建造物群保存地区に商家町として選定されており、現在も優美な町並みを残されています。
秋山直国
宇陀三将の一人。
関ヶ原の戦いでは西軍に属して改易・没落。大坂夏の陣では豊臣方として大坂城に入るが討死し、秋山氏は滅亡した。
宇陀松山城 アクセス
近鉄大阪線 榛原駅下車よりバス15分「大宇陀」降車、徒歩約20分
宇陀松山城 スタンプ設置場所
まちづくりセンター「千軒舎」