続100名城、今日紹介するのは静岡県です!
小牧山城
小牧山城は美濃攻めを目指した織田信長が築いたお城です。(美濃攻めを終えるまでの4年間しか使用されませんでした)
美濃稲葉山城を陥落させた信長は美濃稲葉山城を岐阜城に改名し入城すると、小牧山城は廃城となり、その後は小牧・長久手の戦いにおいて、家康の陣城となります。
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江戸時代には小牧山は尾張徳川家の領地となったため、一般の入山は禁止されましたが現在は山全体が公園となっていて桜の名所としても有名です。
小牧山城 アクセス
名鉄バス小牧市役所前から徒歩で1分
小牧山城 スタンプ設置場所
小牧市歴史館
古宮城
古宮城
東三河で一番好きな城跡 pic.twitter.com/lmSqVrCnA3— 雪風 (@DD102_YUKIKAZE) 2019年1月13日
古宮城(ふるみやじょう)は武田信玄が徳川攻略のため馬場信春に命じて築城させたお城とされています。
古宮城 アクセス
JR飯田線 新城駅より豊鉄バス 鴨ヶ谷口バス停下車
古宮城 スタンプ設置場所
作手歴史民俗資料館
吉田城
周辺勢力による争奪戦の末、今川氏の城となるも、今川義元が桶狭間の戦いで討たれると、今川氏の元を離反した徳川家康が奪取し家康の重臣の酒井忠次が城主となりました。
酒井忠次
酒井 忠次(さかい ただつぐ)は、徳川氏の家臣で、徳川四天王・徳川十六神将ともに筆頭とされ、家康第一の功臣として称えられている武将。
忠次の愛槍は甕通槍、愛刀は猪切。
その後、秀吉により家康が移封されると、吉田城には池田輝政が入城し、輝政の時代に吉田大橋(豊橋)の架け替えなど、大規模な改修が行われました。しかしその後、関ヶ原の戦いが起こると輝政は姫路へと移封されます。
吉田城は東海道の重要な防衛拠点の1つに挙げられていたため、江戸幕府の老中など有能な譜代大名が城主に選ばれ出世城などと呼ばれていてましたが、国替えも頻繁にあり、最後に入城したのは大河内松平家です。
吉田城 アクセス
豊橋駅から徒歩約20分
吉田城 スタンプ設置場所
吉田城鉄櫓内