続100名城、今日紹介するのは大分県です!
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中津城
中津城は大分県中津市にあったお城で、黒田孝高(如水)が着工したお城ですが、領内の反乱や朝鮮出兵等で未完のまま10年以上かかって細川忠興が完成させたお城です。
堀には海水が引き込まれており、今治城・高松城と並ぶ日本三大水城の一つに数えられています。
中津城 アクセス
中津駅から徒歩で15分
中津城 スタンプ設置場所
中津城内
角牟礼城
大分県角牟礼城🏯
別名、角埋城
詳細不明、玖珠郡衆の森氏の詰城として築かれたと伝わる
後に毛利高政が入城し石垣造りに改修された
関ヶ原合戦後は来島長親が入城するが久留島陣屋を築き廃城となった
国の指定史跡で良く整備され三の丸が駐車場になっている、見所は石垣と畝竪#城#山城#大分県 pic.twitter.com/kTUNmPu8zY— シンシン (@HyVVBWmbbfEPjYN) March 6, 2019
角牟礼城(つのむれじょう)は大分県玖珠郡玖珠町にある角埋山(つのむれやま)にあったお城です。
大友氏の支配下にあった角牟礼城は薩摩の島津氏の攻勢に耐え、落城しなかった難攻不落の要害と言われています。
角牟礼城 アクセス
豊後森駅から車で10分
角牟礼城 スタンプ設置場所
豊後森藩資料館
臼杵城
大分県臼杵市にあった大友宗麟の拠点のお城です。
島津軍が侵攻してきた際には、「国崩し」と呼ばれたポルトガルから入手した大砲、「フランキ砲」を動員し、強敵島津軍を退けましたが、西南戦争時には、薩摩軍奇兵隊によって落城しています。
大友宗麟
大友氏21代当主。キリシタン大名。
立花道雪や高橋紹運など優れた家臣に恵まれ、北九州の六カ国を支配下に収め大友氏の最盛期を創出した。
しかし、耳川の戦いで島津軍に敗れ、多くの重臣を失ったことにより、大友家は衰退の途を行くことになる。
耳川の戦い後、周辺諸勢力との戦いが失敗に終わり、領内からも国人らによる反乱が相次いだことや、重臣・立花道雪の病死や岩屋城の戦いで高橋紹運を失ったことなどから、大友氏の滅亡は目前になる。
大友氏存続のため豊臣秀吉の傘下に加わり、軍事的支援を取り付けたことで、戦局が一気に逆転していったのだが、島津義久の降伏2日前に大友宗麟は病死した。
臼杵城 アクセス
臼杵駅から徒歩で5分
臼杵城 スタンプ設置場所
臼杵市観光交流プラザ
佐伯城
佐伯城に来たけどこの城石垣凄いな! pic.twitter.com/V5Frsj4kui
— Soi (@Zuka_soi) April 28, 2019
佐伯城(さいきじょう)は大分県佐伯市にあったお城です。
関ヶ原の戦いの後に、前領主佐伯氏の旧居城であった栂牟礼城に入城した毛利高政によって新たに築かれた山城です。
毛利高政
森高次の次男として生まれた。
当初は森姓を名乗って森友重を称していたが、後に毛利輝元より毛利姓を賜って改姓して毛利友重となり、その後は高政と改名した。
佐伯城 アクセス
佐伯駅から車で10分山頂まで徒歩20分
佐伯城 スタンプ設置場所
佐伯市歴史資料館受付