続100名城、今日紹介するのは滋賀県です!
鎌刃城
鎌刃城 主郭 pic.twitter.com/8Rp0Lz2MEm
— たこぽん (@takopon1120) 2016年7月17日
鎌刃城は滋賀県米原市にあったお城です。
鎌刃城城主堀氏は浅井氏に臣従していましたが、織田氏が近江に侵攻すると浅井氏を裏切り織田氏に降伏します。しかし後に追放され鎌刃城は織田氏の直轄領となります。
鎌刃城 アクセス
鎌刃城 スタンプ設置場所
Cafe&Gallery「源右衛門」案内パンフレットボックス
八幡山城
八幡山城は秀吉の甥・秀次の居城として築かれたお城です。
豊臣秀次
豊臣秀次は、豊臣秀吉の姉である瑞竜院日秀の長男であることから秀吉の甥にあたる。
秀吉の子・鶴松が数え3つで死去したことから世継ぎがいなくなり、秀次が養嗣子となり関白になり家督を相続したが、秀吉に嫡子・秀頼が誕生したことで、風向きが変わる。
突如として秀次に謀反の疑いがかけられ秀次は強制的に出家させられた挙句、切腹の命が下りその後、秀次の首は三条河原で晒し首にされる。その際、眷族も尽く処刑されており、最も寵愛を受けていた秀次の妻・一の台が真っ先に処刑され、次いで子供たち、側室、侍女ら全員斬首され、大量の遺体は一つの穴に投じられた。
秀次縁故の人物を全て処刑した後は、秀次の痕跡を消し去るため聚楽第(関白以後の主な住居)や近江八幡山城の破却が命じられ、聚楽第に至っては基礎に至るまで徹底的に破壊された。
秀次の愛刀は一胴七度(いちのどうしちど)。刀工・千子村正作の打刀である。
秀次が「一の胴」で人体一刀両断の試し斬りを七回も成功させたことから、「一胴七度」の銘が施された。
秀次が悲劇の男に思われる一方で粗暴な行動が多かったことから殺生関白とも呼ばれている。
駒姫の悲劇
最上義光(もがみよしあき)は娘・駒姫(東国一の美少女と名高かった)を秀次の側室に差し出していたことで咎められ、駒姫は側室に上がったばかりで秀次の寝所にも入っていなかったのにも関わらずほかの妻妾と同じように処刑された。(実質的に側室になる前だったことから方々で助命嘆願が行われ、秀吉もそれを聞き入れ尼にするよう早馬を出したが間に合わなかった。)
義光の妻・大崎は駒姫の処刑から14日後、後を追うように死亡している。
駒姫が処刑されたことで義光は咎を許されるが、この悲劇が義光が関ヶ原の戦いで東軍に属する伏線になったとも言われている。
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八幡山城 スタンプ設置場所
近江鉄道八幡山ロープウェイ山上駅