続100名城、今日紹介するのは石川県です!
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鳥越城
加賀 鳥越城
一向一揆の拠点①本丸枡形虎口
②本丸内
③後二の丸空堀 pic.twitter.com/DTSJi4PWqh— 山城散歩 (@kappa725) 2018年10月8日
鳥越城は加賀一向一揆の最後の抵抗拠点となったお城です。
織田信長と対峙することになった一揆衆は、能登に侵攻してきた越後の上杉謙信と結んで徹底抗戦するのですが、謙信の病没や石山本願寺の降伏、尾山御坊(金沢城)の陥落により鳥越城は落城してしまいます。
その後も一揆衆は抗戦しますが、最後の抵抗も鎮圧され加賀一向一揆は壊滅することになります。生け捕りにされた300人ほどの一向一揆衆は手取川の河原で磔に、周辺の村も根絶やしにされ、以後数百年間、周辺の村々から人の姿が途絶えたと伝えられています。
鳥越城を検索すると心霊スポットとしてヒットします。たしかに加賀一向一揆衆最後の拠点として多くの人が亡くなったのは間違いありませんし、鳥越城周辺には自害谷や、子ころし谷、首切り谷などの地名が伝わっているので、「なにか出そう感」があるかもしれませんが、日本全国に合戦場となった場所はありますので、鳥越城だけがいわくつきというわけではないと思います。心霊スポットとして面白がったり、近隣付近の方々や観光客の方に迷惑なる行為はダメ絶対です!
加賀一向一揆
加賀の守護大名富樫政親が浄土真宗を弾圧したことで、加賀の浄土真宗門徒が起こした一揆のこと。
富樫氏21代当主・富樫政親が一向一揆によって攻め滅ぼされ、以降、織田信長に敗れるまでの90年間、一揆衆による実質的な支配が続いたことから、「百姓の持ちたる国」と形容された。
蓮如(本願寺中興の祖)は平和主義者で一向一揆には否定的とされていたが、蓮如が太刀を新調していたことがわかっている。ただし、僧侶が刀剣を所持するのは数珠丸恒次を持った日蓮の例もあることから、一向一揆との関連性は定かではない。
備州長船賀光
長船賀光(おさふねよしみつ)は本願寺蓮如上人の佩刀。石山合戦での和睦の際、顕如上人から織田信長に贈られた。
長船派だったらスーツかな?と刀剣脳で妄想してしまいますね。
一向一揆の里
石川県白山市出合町にある国道360号の道の駅は「一向一揆の里」という名称で、加賀一向一揆最期の舞台となった鳥越城にちなんで名付けられています。
「一向一揆歴史館」や「農村文化伝承館」などで地域の歴史、文化を学ぶことができます。
鳥越城 アクセス
三坂バス停から徒歩で20分
鳥越城 スタンプ設置場所
白山市立鳥越一向一揆歴史館