100名城観光、今日紹介するのは石川県です!
石川と言えば金沢城!金沢城といえば加賀100万石の藩主前田氏の居城ですよね!
2015年に北陸新幹線が金沢まで開通したことで、連日観光客で賑わっているようです!
七尾城
七尾城は能登(石川県七尾市)にあった七つの尾根(松尾・竹尾・梅尾・菊尾・亀尾・虎尾・龍尾)に曲輪群が展開していた山城です。山頂にそびえる七尾城の威容は天宮とまで称され、日本五大山城のひとつに数えられるほど強固な城として有名です。
本丸天守台から見渡す山々の景色は絶景で、七尾城を畠山氏から奪った上杉謙信はその眺めの良さに感嘆したと言われています。
七尾城の戦い
能登に侵攻してきた上杉謙信相手に1年にわたって持ちこたえるも、城内においては畠山七人衆の長続連と遊佐続光らが対立しており、結果として遊佐続光が上杉謙信に内応し長一族を悉く殺害し、開城にいたります。
七尾城の戦いによって畠山家は滅亡し、以後、七尾城及び能登は遊佐続光が実権を握ることとなるのですが、謙信の死後、織田軍は長連龍を立てて能登に攻め込み、遊佐続光父子は降伏するも、信長は長一族を殺した罪を許さず、続光父子は処刑されました。
七尾城 アクセス
JR七尾線七尾駅から市内巡回バス「まりん号」東回りで約13分、城山麓の城史資料館前下車、本丸まで徒歩約60分。
※本丸まで徒歩は、実質厳しく、資料館から本丸駐車場までタクシーまたはレンタカー等が必要。
七尾城 スタンプ設置場所
七尾市七尾城史資料館(12月11日~3月10日は七尾市教育委員会文化財課(七尾市役所内))
金沢城
石川県金沢市にあった日本のお城で、加賀百万石の大城と名高く加賀藩主前田氏の居城でした。元々は加賀一向一揆の拠点で、織田軍が攻め落とした後に、金沢城が築かれました。
加賀一向一揆
加賀の本願寺門徒らが中心となった信徒による一揆
本願寺
親鸞を宗祖とする浄土真宗(じょうどしんしゅう)各派の本山
金沢の人気観光スポット兼六園は、五代藩主前田綱紀が金沢城に付属してつくらせた大名庭園です。
前田利家
加賀藩主前田氏の祖。豊臣政権の五大老の一人。若い頃の利家は短気で喧嘩早く、派手な格好をしたかぶき者であった。三間半柄(約6m30cm)の長く派手な造りの槍を持ち歩き、槍の又左衞門、槍の又左などの異名がある。
小姓として14歳の頃から信長から寵愛を受けており、衆道の相手も務めていたことが加賀藩の資料に記されている。(不寝番として側近く仕えるほどに親しかったという説もある)
笄斬り(信長お気に入りの茶坊主拾阿弥(じゅうあみ)が、まつから贈られた笄(こうがい)を盗んだり、利家に対し度重なる侮辱を繰り返したため信長の面前で拾阿弥を斬殺し織田家を出奔する事件)による浪人生活で金の大切さを知っていた利家はまつにケチと揶揄されたこともあるが、多くの大名に金を貸しており、遺言でこちらから借金の催促をするな、返せない者の借金はなかったことにしてやれと利長に伝えている。
また、利家は茶の湯や能にも精通しており、茶入は秀吉から譲られた天下三茄子の一つに数えられる「富士茄子」を愛用していた。
秀吉の死後、徳川家康の牽制に尽力するが秀吉の死の8ヶ月後に病死した。
大典太光世
足利将軍家の家宝であったが、足利家の没落により流出し豊臣秀吉の所有となる。
坂本城の天守に夜な夜な幽霊が出るという噂が立ったとき、自ら肝試しを志願し一晩過ごしたことが、秀吉から豪胆と讃えられ、天下五剣の一つ大典太光世(おおでんたみつよ)を下賜されたという説や、前田利家の四女豪姫が病で臥せった際、利大典太光世を秀吉から借り受けて豪姫の枕元に置いたところ、病はたちどころに良くなったものの、秀吉に太刀を返却すると病が再発し、借用と返却とを繰り返すうちに、秀吉が利家にこの太刀を譲ることを決めたという説などがある。
前田家第一の家宝で、病魔を祓う霊刀として崇められていた。
前田利家を主役にしたドラマといえば、戦国最強のホームドラマと銘打たれた、唐沢寿明、松嶋菜々子主演の、NHK大河ドラマの利家とまつ~加賀百万石物語~ですね!
金沢城 アクセス
JR西日本・IRいしかわ鉄道金沢駅から北鉄バスで約15分兼六園下下車、徒歩約5分
金沢城 スタンプ設置場所
金沢市 二の丸案内所、石川門入口案内所