続100名城、今日紹介するのは茨城県です!
笠間城
笠間城
茨城県一の山城であり、石垣が残る。城跡自体はかなり草が生い茂っているが、中世~江戸時代まで続いた山城。天守のあった天守曲輪の石垣は東日本大震災で崩落の危機に晒されているが辛うじて倒壊を免れる。
おススメ度★★★★近年、資料館設置など今後に期待#続日本100名城 #笠間城 pic.twitter.com/TsX5JBikSN— 装鉄城 (@rZVdzXGF3Op2U8G) 2018年12月14日
笠間城は創建は鎌倉時代とされ、笠間氏が370年にわたって本拠としていましたが、小田原征伐の際、18代笠間綱家が宗家の宇都宮氏に逆らい、同戦役後宇都宮氏に攻められ滅亡しました。
笠間城 アクセス
北関東自動車道友部ICから車で15分
笠間城 スタンプ設置場所
かさま歴史交流館 井筒屋
土浦城
土浦城は度々水害に遭っているのですが、その際にも水没することがなく、水に浮かぶ亀の甲羅のように見えたことから亀城(きじょう)の異名を持つお城です。
平安時代に平将門が砦を築いたという伝説があります。
平将門
平将門は平安時代中期の関東の豪族で、第50代桓武天皇の5世子孫。
朝廷対抗して「新皇」を自称したことで朝敵となり、即位後わずか2か月程で藤原秀郷、平貞盛らにより討伐された(承平天慶の乱(平将門の乱))。
将門は自ら馬を駆って陣頭に立ち奮戦するが、飛んできた矢が将門の額に命中し討死する。その首は平安京へ運ばれ、晒し首となる。(獄門が歴史上で確認される最も古い例)
将門塚の周辺で天変地異が頻繁に起こったため、将門の祟りと恐れた当時の民衆を静めるため神田明神に神として祀られることになる。神田明神は太田道灌や徳川家康らが武運・戦勝祈祷を行ったことから江戸時代には江戸幕府により平将門を祭る神田明神は江戸総鎮守として重視された。
なお、将門の朝敵としての認識は三代将軍徳川家光の時代に除かれた。
土浦城 アクセス
JR東日本常磐線土浦駅西口 亀城公園口より徒歩15分
土浦城 スタンプ設置場所
土浦城東櫓
ガマランド
ガマランド到着 pic.twitter.com/ODNkPrsnlv
— うご (@ugoman405) 2018年10月28日
探偵ナイトスクープでも取り上げられた筑波山ガマランド!
ガマランドはお土産屋さんと食堂、ガマ洞窟、アトラクションゾーンなどで構成されている遊園地?テーマパーク??ドライブイン???です。
ガマの油
大坂夏の陣に徳川方として従軍した筑波山・中禅寺の住職であった光誉上人の陣中薬で、のちに、筑波山名物として土産物として販売されるようになったワセリンなどを成分とする商品。
ガマガエルから分泌される蟾酥(せんそ)には強心作用、鎮痛作用、局所麻酔作用、止血作用があるものの、ガマの油自体は光誉上人の顔がガマに似ていたことがその名の由来で薬効には蟾酥は関係ないとも言われている。
現在筑波山で売られているガマの油には蟾酥は用いられていない。