100名城観光、今日紹介するのは岐阜県です!
岐阜といえば岐阜城そして関ヶ原ですよね!
岩村城
岐阜県恵那市岩村町にあった標高717mの日本一高い地に築かれたお城です。付近は霧が多く発生するため、別名・霧ヶ城とも呼ばれています。
「女城主おつやの方」の悲哀の物語が残されています。
おつやの方
おつやの方は信長の叔母にあたる女性で、夫は岩村城城主遠山景任(とおやまかげとう)。
景任が病没すると甥・織田信長から五男の御坊丸(織田勝長)が養嗣子として岩村城に送り込まれ、おつやの方が後見となり幼少の養子に代わって女城主となる。
武田信玄による侵攻にも容易に落ちなかったが、秋山虎繁から婚姻を条件に開城するように迫られ、岩村城は落城した。(岩村城の戦い)
長篠の戦いの後、武田勢が弱体化した期に乗じ信長は岩村城奪還を行い城は陥落。虎繁夫妻ら5名が長良川河川敷で逆さ磔となり処刑された。
叔母であるおつやの方を自らの妻にして岩村城を乗っ取った秋山虎繁と、虎繁と結婚して武田方に寝返ったおつやの方を憎悪していた信長は自ら斬ったという説もある。
また、おつやの方には井戸に蛇骨を投げ込み霧を自在に操ったという伝説もある。
NHK歴史秘話ヒストリア「戦場の花嫁 愛に生きた女城主」として特集も組まれた女性です。
岩村城 アクセス
明知鉄道岩村駅下車、岩村歴史資料館まで徒歩約20分
岩村城 スタンプ設置場所
恵那市岩村歴史資料館受付窓口
岐阜城
岐阜県岐阜市の金華山にあった日本の城で、斉藤道三が山城部分である稲葉山城と城下を整備しましたが、その後織田信長が攻め落とした際に岐阜城と改められ、居城として整備し直されたお城です。この頃から信長は「天下布武」の朱印を用いるようになり、本格的に天下統一を目指すようになりました。
天下布武
織田信長の政策の一つ。天下布武とは天下統一、全国制覇と同意であると解釈される。
武力を以て天下を取るという意味に理解されることが多いが、真意は、軍事力ではなく、中国の史書からの引用で七徳の武(1暴を禁じる、2戦をやめる、3大を保つ、4功を定める、5民を安んじる、6衆を和す、7財を豊かにする)であったとされ、天下泰平の世界を築くという意志があったのではないかと言われている。
金華山頂上に建つ天守からは360度の大パノラマが眼下に広がります。
斎藤道三
斉藤道三(さいとうどうさん)は、僧侶から油売りを経て戦国大名にまで成り上がった人物。息子義龍へ家督を譲ったが、ほどなくして義龍と義絶し、長良川河畔で義龍軍に敗れ討ち死にした。 (長良川の戦い)
娘の帰蝶(濃姫)は織田信長の正室。
岐阜城 アクセス
岐阜公園・歴史博物館前バス停下車、徒歩3分の岐阜公園内から金華山ロープウェー3分、金華山ロープウェー山頂駅から徒歩8分
岐阜城 スタンプ設置場所
岐阜市岐阜城資料館
関ヶ原ウォーランド
関ヶ原ウォーランドは岐阜県関ケ原町にある博物館…?です。
関ヶ原に来たので是非行ってみよう!と思い、10年ほど前にかなり期待して行ったのですが、予想の斜め上を超えた施設でした。
のっぱらに、関ヶ原の合戦を見立て、200体以上の戦国武将のコンクリート像で再現しています。
関ヶ原の戦い
豊臣秀吉の死後に発生した合戦で、毛利輝元を総大将とし宇喜多秀家・石田三成らを中心に結成された西軍(豊臣軍)と、徳川家康を中心に構成された東軍が関ヶ原での戦いを含め各地で戦闘を繰り広げた。
この合戦によって豊臣政権は地位を失い、勝者である徳川家康は強大な権力を手に入れることになる。
引き返すならこの絵で判断するんだな…!
屋内施設には当時使用されたという甲冑、火縄銃なども展示されていましたが、埃がすごい。いや、外も雑草ボウボウで凄かったけども!
戌年夫婦は珍スポがかなり好きなのですが、ここはかなりの珍スポであることに間違いありません…!!