100名城

【100名城】鳥取の飢え殺しが行なわれた凄惨な食糧攻め【鳥取県】

100名城観光、今日紹介するのは鳥取県です!
中国・四国地方に突入しましたよ!

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鳥取城

鳥取城は鳥取県鳥取市にあったお城です。鳥取城は山名氏の内紛と毛利氏の侵攻が度々起こった場所です。秀吉三大城攻めの1つに数えられる第二次鳥取城兵糧攻め(鳥取の飢え殺し)が行われた場所でもあります。

山名豊国
但馬山名家の山名豊定の次男として生まれる。

兄・豊数が因幡山名家の家督を継承したことで、支城の因幡岩井城の城主となるが、のちに敵対した兄・豊数やその家老の武田高信によって城を追われることになる。

兄・豊数の死後、尼子氏の家臣である山中幸盛らと組んだ弟・豊国が武田高信を誅殺し、因幡山名家の家督を継承するのですが、毛利元就の次男である吉川元春に攻められ豊国は降伏し、鳥取城城主は毛利豊元へ変わります。

その後、鳥取城は尼子氏残党に攻められて降伏することになるのですが、芸但和睦(但馬の山名祐豊と毛利氏の吉川元春と和睦)によって尼子残党が鳥取城から逃げたため、豊国が城主に落ち着くことになります。

落ち着いたかと思いきや今度は織田信長の中国攻めで、家臣の羽柴秀吉が第一次鳥取城攻めを行います。3か月の籠城戦の末、山名豊国は和議を申し出て降伏し臣従することになります。

今度はそこへ毛利方が再度攻めてきたので豊国は降伏するのですが、豊国が織田へ密使を送っていることが毛利方にばれたため、豊国は秀吉の元へ出奔します。(鳥取城城主は何人かの城将の入れ替えの末、毛利氏の重臣である吉川経家が城主となりました)

ここで、秀吉は第二次鳥取城兵糧攻め(鳥取の飢え殺し)を行うことになります。最終的に4か月の籠城戦となるのですが、城に用意されていた兵糧はわずか20日分ほどしかなく、その結果、城内の家畜、植物などは全て食い尽くされ、人肉が奪い合いになるという阿鼻叫喚の地獄絵図が繰り広げられました。あまりの凄惨たる状況に、吉川経家は城兵の助命を条件に自決し開城に至ります。

この時秀吉は経家の奮戦を称え自害する必要はないと告げているのですが、経家は責任を取って自害する意志を変えませんでした。秀吉は経家の首をみて「哀れなる義士かな」と言い男泣きした言われています。

余談ですが、経家の3男の家好の子孫には馬面をネタにされていた笑点の四代目司会者、五代目三遊亭圓楽さんがいます。(六代目三遊亭圓楽は紫の着物でお馴染みの元楽太郎さんです)

鳥取城 アクセス

鳥取駅から100円循環バスくる梨「緑コース」で7分

鳥取城 スタンプ設置場所