100名城

【100名城】日本三名城の名古屋城や国宝天守の犬山城【愛知県】

100名城観光、今日紹介するのは愛知県です!

愛知にはライヴや舞台などで通ったおかげで100名城めぐりは3/4制覇済です!

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犬山城

犬山城は織田信長の叔父・信康が木曽川沿いに築いたお城です。天守は現存する日本最古の様式で、天守が国宝指定された5城のうちの一つに指定されています。

木曽川の畔からの城の眺めの美しさは、李白の詩にちなんで白帝城という雅称を生みました。

犬山城 アクセス

鉄犬山駅または犬山遊園駅より徒歩15分

犬山城 スタンプ設置場所

犬山市城郭内

名古屋城

名古屋城は徳川家康が天下普請によって築城したお城で、大阪城、熊本城とともに日本三名城に数えられており、「尾張名古屋は城でもつ」と謳われています。

天下普請
江戸幕府が全国の諸大名に命令し行わせた土木工事のこと

2013年に、名古屋城の天守を現在の鉄筋コンクリート製から本来の木造に建て直す復元事業に着手すると発表しましたが、反対意見も多く工事は遅々として進んでいないのが現状のようです。

名古屋城天守閣木造復元に際し、エレベーターを設置しない方針を打ち出したことで、抗議も寄せられているようです…。

よめにん
よめにん
エレベーターがあるお城のほうが違和感があるし、名古屋城へ行ったとき、あまりの作りもの感の凄さにちょっとガッカリしたので、是非木造復元を実現してほしいと願っています

閉館した名古屋城天守閣の内部を、Googleストリートビューで公開!

ストリートビュー掲載の背景
名古屋城天守閣(大天守閣・小天守閣)は、1959年に鉄骨鉄筋コンクリート構造により再建されましたが、耐震性の確保などの問題が発生しています。このため、2018年5月6日(日)をもって名古屋城天守閣は閉館いたしました。
鉄骨鉄筋コンクリート構造の名古屋城天守閣を、閉館後も末永く記録として残すとともに、長年名古屋市のシンボルとして親しんできた市民をはじめ、全世界の方々に気軽に見ていただくことができる手段として、Googleストリートビューでの公開を実施いたしました。
PR TIMES

また、名古屋城といえば、おもてなし武将隊の存在も忘れてはいけません。

名古屋開府400年に合わせ、2009年に名古屋にゆかりのある武将6人(織田信長・豊臣秀吉・徳川家康・加藤清正・前田利家・前田慶次)と4陣笠隊で結成されたPR部隊で、メンバーはハローワークで募集されたことも話題になりました。

名古屋おもてなし武将隊の成功により、全国各地でおもてなし武将隊が誕生しましたね!

よめにん
よめにん
初代前田慶次と織田信長が好きだったのよ~!

名古屋城 アクセス

名古屋市営地下鉄名城線市役所駅下車 7番出口より徒歩5分

名古屋城 スタンプ設置場所

名古屋市 正門改札所、東門改札所

岡崎城

岡崎城は徳川家康誕生のお城です。
幼くして今川氏の人質となっていた徳川家康は、桶狭間の戦いの後岡崎城に戻り、岡崎城を拠点に三河を統一していきます。

岡崎城のある岡崎公園は日本さくら名所100選に選ばれた桜の名所としても有名です。

岡崎城 アクセス

名鉄名古屋本線東岡崎駅から徒歩約15分

岡崎城 スタンプ設置場所

岡崎市 天守1階

長篠城

愛知県長篠にあったお城で、長篠の戦いに先立つ長篠城をめぐる激しい攻防戦で有名な土地です。

寒狭川(豊川)と大野川(宇連川)が合流する場所に突き出した断崖絶壁の上にあり、二つの川が天然の堀となり、断崖絶壁に守られた天然の要塞でした。

長篠の戦い
長篠城をめぐり、3万8千の織田信長・徳川家康連合軍と、1万5千の武田勝頼の軍勢が戦った合戦。

長篠城は城主奥平信昌がわずか5百の手勢であったにも関わらず、200丁の鉄砲や大鉄砲を有していたことや、周囲の地形のおかげで武田軍の猛攻にも何とか持ちこたえていた。

長篠城が落城必至だった折、密使の鳥居強右衛門(とりいすねえもん)が岡崎城へ援軍を求めに向かうも、岡崎城では既に信長の援軍3万人と家康の手勢8千人が出撃準備をしていた。

その旨、奥平信昌らに急ぎ伝えるべく鳥居強右衛門が長篠城へ引き返す最中、武田軍に掴まるも、尋問に臆さなかった鳥居強右衛門に感銘した武田軍は、援軍は来ないと皆に告げれば命は助けると取引を持ちかけた。しかし、鳥居強右衛門は「間もなく大群の援軍がやってくる!」と叫び、取引に応じることなく城兵を奮い立たせ、見事、長篠で織田徳川連合軍が武田軍を撃破するまで城は持ち堪えた。

一方、信長到着の報を聞いた武田四名臣といわれる山県昌景、馬場信春、内藤昌秀らは、死を覚悟して一同集まり酒(水盃)を飲んで決別したと言われている。

結果は織田信長・徳川家康連合軍の圧勝である。この戦いにおいて武田軍は多くの武将を失った。

なお、奥平貞昌はこの戦功によって信長の偏諱を賜り「信昌」と改名し、家康の長女・亀姫を貰い受け正室とした上、家康所有の名刀「大般若長光」も賜るという名誉を受けた。さらにその重臣含めて知行などを子々孫々に至るまで保証するというお墨付きを与えられる。

また、武田に処刑された鳥居強右衛門は後世に忠臣として名を残し、信長が立派な墓を建立させたと伝えられている。

大般若長光
大般若長光(だいはんにゃながみつ)は、備前長船派の刀工、長光の代表作として古来名高い太刀で、工芸品の国宝指定番号00001である。

室町期に永楽銭で六百貫と評価され、大般若経六百巻に引き合わせて、この名が付けられた。

足利将軍家の第十三代将軍足利義輝⇒重臣三好長慶⇒織田信長⇒徳川家康⇒奥平信昌⇒松平忠明(信昌の末子で家康の養子)

よめにん
よめにん
刀ステの大般若長光が麗しいのよ…!!

長篠城 アクセス

JR東海飯田線長篠城駅から西へ徒歩7分

長篠城 スタンプ設置場所

新城市長篠城址史跡保存館窓口