続100名城、今日紹介するのは静岡県です!
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興国寺城
続日本百名城巡り。
115/200 興国寺城 pic.twitter.com/nuWuAh4MjN
— まさっつ (@masattuuu) 2019年1月14日
興国寺城は静岡県沼津市にある愛鷹山(あしたかやま)南麓の尾根の先端部に築かれたお城で、北条氏(北条早雲)が旗揚げしたお城です。
興国寺城敷地内には穂見神社があります。
北条早雲
戦国時代初期の武将で、戦国大名となった後北条氏の祖。出自については不明な点も多い。
興国寺城 アクセス
JR原駅から富士急バスで15分
興国寺城 スタンプ設置場所
穂見神社境内(興国寺城跡本丸内)
諏訪原城
遠州 諏訪原城🏯。
噂通りの馬出…! pic.twitter.com/WgIpOr8HhI— 小太三郎 (@kotasaburou) 2018年9月22日
諏訪原城は武田勝頼が近江侵攻の拠点として築いたお城です。
勝頼の母が諏訪氏の出であったことから、城内に諏訪神社を祀り、城名にも諏訪の名が付けられました。
諏訪神社
長野県の諏訪湖近くの諏訪大社が総本社。諏訪大社の祭神は諏訪大明神ともいわれる建御名方神(タケミナカタ)とその妃・八坂刀売神(ヤサカトメノカミ)。
建御名方神
古事記においては大国主神(オオクニヌシ)の御子神とされている。
真・女神転生Ⅲ以降のタケミナカタのデザインはは両腕を失ったデザインとなっているのですが、これは古事記に書かれている「タケミカヅチがタケミナカタの手をちぎり取って、それを投げ捨てた」という話からこのデザインになったものと思われます。
諏訪原城 アクセス
JR金谷駅から徒歩で30分
諏訪原城 スタンプ設置場所
諏訪原城第一駐車場パンフレット置き場)
高天神城
続日本100名城【高天神城跡】
【高天神を制するものは遠州を制する】戦国時代に徳川・武田 、
両雄が攻防戦を繰り広げた決戦場で
東海一の堅塁を誇った山城でする。とりあえず
。凄い気配がするのじゃ。#高天神城 #徳川家康 #武田信玄 #静岡県 #浜松徳川武将隊 #ハイキング #戦国時代 #自然 pic.twitter.com/iUfikUJhDq— 井伊直虎 浜松徳川武将隊 [公式] (@HAMA_naotora) 2018年4月24日
高天神城(たかてんじんじょう)は、戦国時代末期に武田信玄・勝頼と徳川家康が激しい争奪戦を繰り広げたお城です。
高天神城の戦い
武田勝頼と徳川家康の間で戦われた高天神城の2度の攻城戦のこと。
信玄の死後、後を継いだ武田勝頼が高天神城攻めに成功する。(第一次高天神城の戦い)
高天神城はかつて武田信玄が大軍を率いてもってしても落とせなかった要塞であったことから、勝利したことで勝頼は自信過剰になり、このことが後の長篠の戦いでの敗戦の原因になったとも言われている。
武田軍が大敗を喫した長篠の戦いの後、補給路を断たれた高天神城の維持は武田方にとって負担の大きいものとなった。そこへ家康は高天神城を取り囲み、兵糧攻めを行った。
この兵糧攻めによって城兵の大半が餓死し、武田軍はついに城から討って出るも徳川軍に討ち取られる。この戦いは武田氏の威信を致命的に失墜させた。(第二次高天神城の戦い)
第二次高天神城の戦いにおいて、高天神城の城主であった岡部元信は勝頼に救援依頼を出していたが、勝頼は信長の武勇を恐れ、結果として勝頼は多くの将兵を見殺しにした。このことが御一門衆たちの造反の一因になったともされている。
高天神城 アクセス
掛川駅からバスで25分、徒歩で10分
高天神城 スタンプ設置場所
大東北公民館
浜松城
浜松城は徳川家康が遠江進出の拠点としたお城で、歴代の城主は老中や城代など幕府の要職に就く者が多かったことから出世城とも呼ばれています。
浜松城 アクセス
浜松駅からバスで5分
浜松城 スタンプ設置場所
浜松城天守閣一階