続100名城、今日紹介するのは福井県です!
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福井城
福井城は徳川家康の二男・結城秀康が築城したお城です。
朝倉氏の滅亡後、越前一向一揆を平定した功績によって、越前国北ノ庄を与えられた柴田勝家が築城したお城(北ノ庄城)です。安土城に匹敵する巨城だったとされています。
賤ヶ岳の戦いで勝家が敗れ、妻・市と共に自害すると、城にも火が放たれ、建造物のほぼ全てが焼失します。
後に、徳川家康の二男・結城秀康(越前松平家宗家初代)が入封され、改めて北ノ庄城が築城され、3代松平忠昌の時、「福居(福井)城」と改名されました。
柴田勝家
初めは織田信長の弟信行に仕えており、織田家の老臣林信勝とともに信行の擁立をはかったが失敗、のちに信長の家臣として屈指の宿老となる。
信長第一の将として戦功をあげ、織田信長の妹であるお市の方を妻に娶る。
本能寺の変後、豊臣秀吉に賤ヶ岳で敗れ、越前北ノ庄で自刃する。
結城秀康
徳川家康の二男で、越前北ノ庄藩初代藩主。越前松平家宗家初代。
母は家康の側室の於万の方で、家康の正室・築山殿の悋気や双子であったことなどから家康から冷遇されて育つ。その後、秀康は秀吉のもとへ養子(実際は人質)として差し出されるも、秀吉に実子の鶴松が誕生すると今度は結城家の養子に出される。
武将としての器量は一流で周囲からも認められるほどの人物だったが34歳で病死。
天下三名槍の一つである「御手杵」を所有していたことでも知られている。
福井城 アクセス
福井駅から徒歩で5分
福井城 スタンプ設置場所
福井県庁舎一階受付
越前大野城
元旦の朝に撮影した越前大野城
☁️❄️🏯❄️☁️
今年は良いことありそう☺️☺️#天空の城 pic.twitter.com/3MCcJiXU12— t_kotetsu_t (@t_kotetsu_t) 2019年1月4日
越前大野城は、織田信長の家臣、金森長近が越前の内乱を鎮圧した功として越前大野群の2/3を与えられ、亀山に大野城を始めたのが越前大野城の始まりです。
越前大野城 アクセス
越前大野駅から徒歩で30分
越前大野城 スタンプ設置場所
越前大野城一階
佐柿国吉城
94、国吉城(福井県美浜町) pic.twitter.com/wypPZ2ixut
— 山城守入道 (@sanemi18711) 2018年12月22日
佐柿国吉城(さがきくによしじょう)は、若狭国守護大名の武田氏重臣であった粟屋勝久が戦国時代に築いたお城で、越前の朝倉氏がたびたび若狭侵攻を繰り返してきましたが、国境の城である佐柿国吉城は毎回これを撃退し、難攻不落を誇ったことでも知られています。
信長・秀吉・家康の戦国三英傑が揃って朝倉攻めに出陣した地です。
佐柿国吉城 アクセス
JR小浜線・美浜駅から徒歩25分
佐柿国吉城 スタンプ設置場所
若狭国吉城歴史資料館
玄蕃尾城
玄蕃尾城。 pic.twitter.com/P6ZAnoKgoQ
— 山城守入道 (@sanemi18711) 2018年11月17日
玄蕃尾城(げんばおじょう)は賤ヶ岳の戦いにおいて、柴田勝家の本陣が置かれた臨戦のお城です。
清州会議にて信長の三男・織田信孝を推す柴田勝家と、信忠の子・織田秀信を推す羽柴秀吉との間で激しい対立が生じました。
同席した丹羽長秀・池田恒興らが信忠の子・織田秀信の擁立に賛成したため勝家も譲らざるをえず、この後継者問題は形の上ではひとまず決着をみたのですが、織田家重臣たちの対立は深まり賤ヶ岳の戦いへと繋がります。
賤ヶ岳の戦い
賤ヶ岳付近で起きた羽柴秀吉と柴田勝家の戦い。この戦いは織田勢力を二分する激しいものとなり、これに勝利した秀吉は織田信長が築き上げた権力と体制を継承し天下人への第一歩を歩むことになる。
勝家は秀吉と対決すべく玄蕃尾城に本陣を置き、秀吉が大垣に出陣した隙をついて攻撃にかかるも秀吉の反撃にあい、勝家軍は総崩れとなり北ノ庄城へ敗走。
妻・市と共に自害すると、城にも火が放たれ北ノ庄城は焼失する。
玄蕃尾城 アクセス
JR木ノ本駅よりバスにて28分 柳ヶ瀬下車、バス停より徒歩1.8km
玄蕃尾城 スタンプ設置場所
林道突き当たり車止め見学受付ポスト、余呉湖観光館