続100名城、今日紹介するのは神奈川県です!
小机城
小机城 本丸 pic.twitter.com/2kg4yHJyTT
— たえきち (@qqwX085yzgmU2tU) 2018年12月24日
小机城は神奈川県横浜市港北区小机町にあったお城です。
正確な築城年代は定かになっていませんが、長尾景春の乱で太田道灌が小机要害を攻撃していることから、少なくとも15世紀には南武蔵の軍事拠点であったことが考えられています。
長尾景春の乱
山内上杉家の家宰であった長尾景春が、父の死後に家宰職を相続できなかったことに端を発し、主家に対する反乱を起こしたもの。太田道灌の活躍によって鎮圧された。
太田道灌
太田道灌(おおたどうかん)は室町時代後期の武将。扇谷上杉家の家宰。江戸城を築城したことで有名。
道灌の活躍によって扇谷家の勢力は大きく増したのが、扇谷上杉家当主・扇谷定正(上杉定正)から正当に評価されないどころか冷遇され、さらには力が強くなりすぎた道灌を恐れた当主・扇谷定正により暗殺される。(扇谷家の力を弱めるための山内顕定の画策に扇谷定正が乗ってしまったという説もある)
道灌謀殺により多くの家臣が離反し、最終的には扇谷家は徐々に所領を蚕食されていくことになる。
※蚕食(さんしょく)…蚕が桑の葉を食うように片端から他の領域を侵略すること。
扇谷上杉家と山内上杉家の明と暗
両家とも室町時代に関東地方に割拠した上杉氏の諸家のひとつ。
扇谷上杉氏
室町幕府を開いた足利尊氏の母方の叔父にあたる上杉重顕を祖とする家。
重顕の弟・上杉憲房の諸子から出た諸上杉家と同じく鎌倉公方に仕えて鎌倉の扇谷(現在の鎌倉市扇ガ谷)に居住したことから扇谷家の家名が起こった。
関東の領有をめぐり山内家との対立が顕在化するも、それぞれの家で内紛が起きている最中に後北条氏に浸食されたことから、両上杉氏は甲斐の武田信虎(信直)と同盟を組み後北条氏と対決する。
その後、山内家と和解して後北条氏との戦いに臨むが扇谷家は滅亡する。
山内上杉家
上杉氏4代当主・上杉憲顕に始まる家で、室町幕府の初代将軍・足利尊氏の生母・上杉清子は上杉家出身 (2代当主・上杉頼重の子)。
15代当主・上杉憲政は北条氏康に敗北し、長尾家出身の長尾景虎(のちの上杉謙信)に上杉家の家督を譲った。
17代当主・上杉景勝(豊臣政権の五大老の一人)は、関ヶ原の戦いで敗北し移転・減封されたが、幕末まで大名としての地位を維持し、明治時代には伯爵を授けられた。
小机城 アクセス
JR横浜線・小机駅から徒歩15分
小机城 スタンプ設置場所
横浜市城郷小机地区センター
石垣山城
石垣山城は、小田原攻めに際して豊臣秀吉の名により築城されたお城で一夜城とも呼ばれています。
石垣山城は小田原城の南西約3kmに位置する笠懸山の山頂に、小田原城からは見えないよう約80日間という短期間で築かれ、城の完成後に周囲の木を伐採し、北条氏方にはわずか一夜にして城が出現したよう見せ、戦意喪失させました。
石垣山城 アクセス
早川駅から徒歩で40分
石垣山城 スタンプ設置場所
石垣山一夜城駐車場内トイレ付近