続100名城、今日紹介するのは福島県です!
三春城
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— reptor (@reptor123) 2018年8月18日
三春城はいつ頃築城されたのかはっきりとしていないのですが、史料上判明していることは16世紀初頭に田村義顕が守山城(現在の福島県郡山市)より三春城に本拠を移したということです。
田村氏は田村郡全域を支配していた豪族で、系図上は坂上田村麻呂の子孫となっているのですが、信憑性に疑問視があるようです。
坂上田村麻呂
平安初期の武将。桓武天皇に重用され蝦夷を征討し、征夷大将軍となった人物。武芸の神として親しまれ、多くの伝説、物語を生んだ。 清水寺の創建者と伝えられる。
田村氏は伊達氏など周辺の有力大名と婚姻関係を結ぶことで所領を守ってきたのですが、豊臣秀吉の奥羽仕置きにより改易されてしまいます。
ちなみに伊達政宗の正室は田村清顕(義顕の孫)の娘、愛姫(めごひめ)です。
ちなみに三春といえば三春滝桜が有名ですね。
三春滝桜
樹齢推定1000年超のベニシダレザクラ(紅枝垂桜)の巨木。国の天然記念物。日本五大桜または三大巨桜の1つとして知られる。
三春城 アクセス
JR磐越東線・三春駅から約8km。花の盛りには三春駅発の有料シャトルバスが運行される。
三春城 スタンプ設置場所
本丸、三春町歴史民俗資料館
向羽黒山城
向羽黒山城なう。 pic.twitter.com/mzdIyahrca
— トオル♨️ (@chaser_4393) 2018年12月2日
鎌倉時代から続いた会津の有力大名蘆名氏は戦国時代に中興の祖(危機からの回復を達成し、政権の安定化や維持に多大な功績をもたらした名君)と言われた蘆名盛氏に最高期を迎え百万石の会津太守と謳われます。
蘆名盛氏の死後、二階堂氏からの人質の二階堂盛義の子(蘆名盛隆)を婿養子として後を継がせましたが、近従に暗殺されてしまいます。
その後を継いだ盛隆の遺児亀若丸(亀王丸)も3歳で夭逝してしまい、家臣団が揉めに揉めた末、佐竹義重の子・蘆名盛重を蘆名家当主に迎えることになります。
しかし、奥州統一を目指す伊達政宗に摺上原の戦いで蘆名盛重は大敗し、蘆名氏は没落の一途を辿ります。
盛重の死後、息子たちも相次いで病死してしまい、最後の当主・蘆名千鶴丸も3歳で事故死したために家系は断絶して蘆名氏は滅亡しました。
向羽黒山城 アクセス
只見線 会津本郷駅から徒歩で20分
向羽黒山城 スタンプ設置場所
向羽黒山城跡整備資料室前