続100名城

【続100名城】傾国の美女「小少将」に翻弄された勝瑞城【徳島県】

続100名城、今日紹介するのは徳島県です!

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勝瑞城

勝瑞城は徳島県板野郡藍住町勝瑞にあった細川氏9代・三好氏3代が本拠とした城です。

勝瑞城の城主、細川持隆は絶世の美女と評される側室・小少将(こしょうしょう)に溺れ酒池肉林の生活を続けてていた最中、重臣であった三好実休に謀反を起こされ自害させられることになります。(勝瑞事件)

勝瑞事件の原因には、三好実休の力の増大に脅威を感じて暗殺を謀ったのが実休にばれたからという説や、従妹である細川晴元の再起を細川持隆が支援しているのが三好実休にばれたからという説などがありますが、原因はいまだ判明していません。

なお、その後小少将は大形殿と名前を改め三好実休の継室になるのですが、細川持隆が暗殺されるよりも前に、三好実休と通じていて、既に子供を宿していたともされています。

そして三好実休が戦死した後には、大形殿は三好氏の重臣である篠原自遁と通じます。

そんな大形殿の人目をはばからぬ乱倫に上桜城城主篠原長房が戒めるのですが、篠原自遁は勝瑞城城主三好長治に讒言し、上桜城の戦いが起きてしまいます。

その結果、篠原長房をはじめ篠原一族は滅亡することになり、忠臣だった篠原長房を討ち取った三好長治も日夜酒宴にふけるなど、三好長治の信望は徐々に衰えていき、出奔した細川真之(細川持隆と小少将の子)によって勝瑞城を追われ自害することとなります。

その後の大形殿の消息はというと、井戸に飛び込んだという説もあれば、長宗我部元親の側室になったという説もあり、まさに傾国の美女であったことは間違いありません。

勝瑞城 アクセス

勝瑞駅より徒歩10分

勝瑞城 スタンプ設置場所

勝瑞発掘現場事務所、武田石油(土日のみ)

一宮城

一宮城は徳島県徳島市一宮町にある南北朝時代に一宮氏が築いたとされるお城で、豊臣秀吉の四国平定後、阿波国主となった蜂須賀家政(後に徳島城と築城)によって大改修されました。

一宮城 アクセス

徳島駅からバスで40分

一宮城 スタンプ設置場所

一宮城跡登山口説明板横