続100名城、今日紹介するのは鳥取県です!
若桜鬼ヶ城
若桜鬼ヶ城 pic.twitter.com/Ok20R6FJk6
— kai(時間差 期間限定アイコン) (@mypace_kai) 2018年5月26日
若桜鬼ヶ城(わかさおにがじょう)は鳥取県八頭郡若桜町若桜にあるお城です。
若桜鬼ヶ城は因幡三名城(この他に鳥取城、鹿野城)の一つに数えられる名城で、山中幸盛(鹿助)が尼子氏再興を図り毛利氏と激戦を繰り広げたお城です。
山中幸盛
山中幸盛(やまなかゆきもり)は尼子三傑の一人で、尼子十勇士の筆頭。
鹿助(しかのすけ)の通称で知られる戦国時代の名将で、「山陰の麒麟児」の異名を持つ。
嶽々たる驍名、誰が鹿と呼ぶ、虎狼の世界に麒麟を見る
訳文:勇名をはせた幸盛は、鹿という名前であるけれども、誰が鹿と呼べようか。幸盛は戦国乱世の麒麟である。 頼山陽
衰亡した主家に忠誠を尽くして戦い続けた悲運の英雄「山中鹿之助」、尼子家再興のために月に祈った「願わくば、我に七難八苦を与えたまえ」という逸話は有名。
尼子家を再興するため尽力した幸盛だが、再興運動はいずれも失敗に終わり、最期は毛利氏家臣の福間元明により謀殺される。
五尺六寸ある石州大太刀(せきしゅうおおだち)を使用していたとされ、新身国行(あらみくにゆき)や不動国行、三日月宗近も所持していたとされる。
明智光秀の家臣であった野々口丹波が幸盛を我が家へ招待した後に、光秀からも「風呂を炊いたから家に来ないか」と招待があった。野々口の家はあばら家であったが、幸盛は「野々口と先約があるので、いけません」と笑って光秀に答えた。光秀もまた笑って、「幸盛をこれで招待してやれ」と野々口に言い、雁1羽と鮭1尾を授けた。
上記の逸話は幸盛、そして光秀の心遣い、人となりがわかる逸話である。
また、幸盛の母・なみは大変な賢母としても知られる。
幸盛の父は早くに亡くなったため家は貧しく衣服を買う金にも困るほどであったが、母・なみは、同じように貧しい子供がいれば、衣服や食事を与え面倒を見てあげた。その時世話になった子どもが大きくなり後に幸盛に協力するようになったとされる。
なお、鹿助の長男とされる山中幸元(鴻池新六)は江戸時代における日本最大の財閥鴻池財閥の始祖である。
尼子三傑
尼子氏の家臣のうち特に武勇・忠義に優れた山中幸盛、立原久綱、熊谷新右衛門の3人のこと。
いずれも尼子家の衰亡期から滅亡後に、再興を目指して戦った武将である。
尼子十勇士
尼子氏滅亡後に、尼子晴久が部下4万人余りの中から選び出した10人の勇士のこと。
※尼子十勇士の構成員は山中幸盛を除けば不定であり、10人以上いる場合がある。
若桜鬼ヶ城 アクセス
若桜駅から徒歩で40分
若桜鬼ヶ城 スタンプ設置場所
二の丸内の作業小屋前、若桜郷土文化の里(冬期)
米子城
米子城は鳥取県米子市にあったお城です。
米子城は建物はすでに失われていますが、大小天守跡からの眼下に広がる360度のパノラマはまさに絶景であり、海を望む天空の城と称えられています。
米子城 アクセス
米子駅から徒歩で20分
米子城 スタンプ設置場所
米子市立山陰歴史館、米子城跡天守東屋