100名城

【100名城】天草四郎率いる島原の乱が起きた土地【長崎県】

100名城観光、今日紹介するのは長崎県です!
お城の数は残すところあと10城となりました!

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平戸城

平戸城は長崎県平戸にあったお城です。三方を海に囲まれていて天然の堀となっています。

平戸城 アクセス

平戸桟橋から徒歩で15分

平戸城 スタンプ設置場所

平戸城天守閣

島原城

島原城は長崎県島原市にあったお城で、有明海に臨み、雲仙岳の麓に位置します。

本丸は水堀で囲まれていて、二の丸と廊下橋形式の木橋一本で繋がれています。橋を壊せば本丸を敵の侵入を防ぐことができますが、一方で袋の鼠状態にもなるという諸刃の城でもあります。

松倉重政が島原城の築城を行なったのですが、築城のための課役やキリシタンの弾圧など、農民たちの怒りが爆発し、天草・島原の一揆が起こりました。

松倉重政
苛政と搾取を行い、子・勝家と共に島原の乱の主因を作った人物。

キリシタンの弾圧では顔に「吉利支丹」という文字の焼き鏝を押したり、雲仙地獄で熱湯を使ったキリシタンの拷問・処刑を行っていた。

一方で、関ヶ原の戦いでは単身参陣して徳川家康に認められた重政は、大和の五条二見城主となり城下町の整備を行っている。このことから、奈良県五條市では新町地区の礎を築いた名君として「豊後様」と称えられている。

島原の乱
百姓の酷使や過重な年貢負担、キリシタンの弾圧などによって起きた、三代将軍・徳川家光の治世の時に発生した日本の歴史上最大規模の一揆であり、幕末以前では最後の本格的な内戦。

当時16歳の少年、天草四郎を一揆軍の総大将とし決起する。一揆の勢力は強くその数は3万 8000人にも上ったとされる。

原城に立て籠もり籠城戦を続けるも兵糧が尽きかけていたことや幕府軍の総攻撃により一揆軍は皆殺しにされ乱は鎮圧される。(原城は続日本100名城に選定されている)

幕府はこの乱をきっかけとしキリシタン弾圧を更に強化し,鎖国に踏み切ることとなる。

なお、島原藩主の松倉勝家(松倉重政の子)は、一揆を招いたとして責任を問われて改易処分となり、後に斬首となる。近世大名が切腹ではなく斬首されたという例は後にも先にもこの時だけである。

天草四郎
天草四郎(本名:益田四郎時貞)は、島原の乱における一揆軍の最高指導者とされる人物。

謎多き人物で、出生地ははっきりしておらず、享年も諸説あるため、生年も定まっていない。

生まれながらのカリスマ性を備えており、救世主として擁立、神格化された人物であったとされる。

また、盲目の少女に触れると視力を取り戻した、海面を歩いたなど奇跡の逸話があったり、豊臣秀頼(秀吉の息子)の落胤であったとする伝説もある。

豊臣秀頼の落胤説は映画「真田十勇士」のラストとリンクしますね!

島原城 アクセス

島原鉄道 島原駅から徒歩5分

島原城 スタンプ設置場所

島原城受付窓口