仕事

【就職活動】262人中6人に残った実話!面接は自己PRの場!

桜が開花したというのに、昨日はプロ野球が雪で中止になるほどの寒気!
今朝は、朝から嫁にんが「寒い」を連発して布団からなかなか出てきませんでした。
でも、季節は春です。
新年度、新学期が始まります。
私の勤務先でも、今週は新年度の学科会議が2回もあります。
そんな時期なので、今日も就職活動について、お話しします。

私の体験談

私は、4年生大学(経済学科)を卒業しました。
中学2年からギターを弾いていたので音楽は好きだったため、音楽関係の仕事に就きたいと考えていました。
特に、音楽録音に興味があったので、卒業後はレコーディングスタジオに就職したいと思っていましたが、経済学科にそんな求人はくるはずもありません。

そのことに気が付いたのが、大学2年の時です。
そこで、大学を卒業してから音響関連の専門学校に入学しようと考えました。
そのために、ひたすらアルバイトをして初年度の学費を貯めました。
大学4年になり、愛読している音楽雑誌の出版社で次年度新卒社員の募集広告があり、社内に「レコード事業部」という部署があるのを見つけて、一応、応募してみました。

だんなぽん
だんなぽん
これに落ちたら、専門学校へ行こう

そんな、消極的な発想で応募したせいか、見事に1次試験で不採用となりました。
そこで、当初の予定通り、専門学校へ入学しました。
2年間、専門学校へ通い、卒業した時は24歳です。

リベンジ応募

専門学校にくる求人は音響関係ばかりなので入学した目的は果たせましたが、どこも聞いたことがない会社ばかりでした。
そんな時、大学卒業時に試験を受けて不採用だった出版社が採用試験を行うと知り、リベンジのつもりで応募しました。

入社試験では、ストレートで新卒した人がほとんどだったので、周囲は18~22歳の人ばかりでした。
その中で、私だけが24歳なので、不利であることが想像できました。
筆記試験が終わり、いよいよ面接です。

面接回数13回!!

面接官(各部署の部長さん)が3人で待つデスクが4つあり、それぞれのデスクで受験者が2名ずつ呼ばれるので、合計4回の面接でした。

私が最初に呼ばれたデスクで、自分の筆記試験の答案が見えました。

だんなぽん
だんなぽん
37点!!

やっべー!
歳も歳だし、この点なら返り討ち確定だ・・・

そう思って、テンションが下がっていたところへ、最初の面接官がこう言いました。

面接官
面接官
旦那ぽんさんは、レコード事業部を志望ですね?
だんなぽん
だんなぽん
はい
面接官
面接官
大学から専門学校に入って、何を勉強してきたの?
だんなぽん
だんなぽん
ミキシングエンジニアの勉強です。
面接官
面接官
だったら、スタジオとかPA会社の方が良いんじゃない?

出た!
プレッシャーを与えて反応を見る気か?
はたまた、畑違いとでも言うつもりか?
ヤバイ状況だと思いましたが、ここは落ち着いて

だんなぽん
だんなぽん
御社の業務内容に「原盤制作」という項目がありましたので、是非やってみたいと思い、応募させていただきました。

すると、その面接官は

面接官
面接官
実は、現在、新社屋を建てているんだけど、そこにスタジオを作ろうと考えているんだ。
そっちの仕事に興味はないですか?

なにーー!!
そんな美味しい話があったの!?
内心、ウハウハです!!
その気持ちを抑えて、

だんなぽん
だんなぽん
是非!やってみたいです!!

と答えました。

面接試験は一次から三次まで3日間あり、それぞれ4回ずつ、合計で12回ありました。
しかし、毎回、同じやり取りでした。

別の面接官
別の面接官
旦那ぽんさんはレコード事業部志望ですね
だんなぽん
だんなぽん
応募した時はレコード事業部だったのですが、新社屋でスタジオができると伺いましたので、是非、そちらの仕事をやらせていただければと思っています。
別の面接官
別の面接官
え!?
誰から、その話を聞いたんですか?
だんなぽん
だんなぽん
最初に面接をして下さった方です。
別の面接官
別の面接官
わかりました。

これで、面接12回を突破してしまいました。
入社後に分かったのですが、最初に面接してくれた人は総務部の部長さんだったのです。
この人は、かなり人望があったので、その後の面接では「総務部長が内部情報を話したという事は、部長がOKだしたのも同然」と判断されたのだと思います。
入社後、部長さんは、「新卒の20歳そこそこの人よりも年齢が上だったので、信頼できそうだったから、社内情報を教えた」と言ってくださいました。

最後に、スタジオを企画しているスタッフ3人と、13回目の面接をしました。
その時は、私ともう一人、専門学校を新卒した20歳の人と2人での面接でした。
結果として、私が残ったのですが、その時の理由を聞いたところ「お前の方が老け顔だったから」という「まさか!?」の答えが返ってきました。
かくして、応募総数262人の中の6人に残ることができたのです。
自分ではデメリットだと思う事でも、アピールの仕方でメリットに変えられるという良い例だったと思います。
それよりも、最初の面接で総務部長にあたっていなかったら、私の採用はなかったと思います。

だんなぽん
だんなぽん
ラッキーでした!!

最後に

私が入社した出版社は、ハードロックやヘビーメタルといったジャンルを扱う若者向けのロック中心の会社でした。
当時は、ライダースの革ジャンやレザーのリストバンドに鋲を打ち込んだギンギンのファッションが流行っており、当該の出版社でも販売していました。

よめにん
よめにん
いわゆる、X-JAPANのボーカルさんみたいなファッションね!
だんなぽん
だんなぽん
いや、そんなキレイな物じゃなく、千葉のジャガーさんに近い!

その年の受験者(262人)の中に、その格好で受験しに来た人が一人だけいました。
彼はそういうアイテムを販売しているの会社だから、メタルファッションは当然と思ったのかもしれませんが、社員の女性の間で嘲笑されていました。

その後の試験会場で彼を見かけることはありませんでしたから、その日が最後だったのでしょう。
当人は、良かれと思ったのかもしれませんが、悪目立ちが過ぎたようです。
入社してから分かりましたが、その会社は至って常識的な社風だったのです。
どんな会社でも、入社してみないと内情が分らないので、採用試験などでは常識をはみ出さないほうが良いようです。