続100名城、今日紹介するのは福岡県です!
小倉城
小倉城は、福岡県北九州市小倉北区にあったお城です。
江戸時代初期に細川忠興が約7年かけて唐造の天守閣を築城しました。
第二次長州征討に敗れ、小倉藩が自ら城に火を放ちほとんどの建物が焼失しましたが、1959年に天守閣が再建されました。
細川忠興
豊前小倉藩の初代藩主。正室は明智光秀の娘・細川ガラシャ。
足利義昭、織田信長、豊臣秀吉、徳川家康と、時の有力者に仕えて、現在まで続く肥後細川家の基礎を築いた。
本能寺の変の際には、速やかに剃髪をして弔意をあらわし、光秀には与せずの姿勢を明確にしたことから、光秀との内通を疑われ討伐されることもなかった。細川藤孝・忠興父子に協力を断られたことは、光秀の滅亡を決定的したといわれる。
小倉城 アクセス
小倉駅から徒歩で15分
小倉城 スタンプ設置場所
小倉城天守受付
水城
水城
①東端部にある展望台から、西側をのぞむ。下の切れ目が東門跡。この展望台の下には、水城館という施設があり、スタンプ押印
②東門跡。先に進むと大宰府、戻ると博多港まで道が続いていた#続日本100名城 pic.twitter.com/cejM7ZxNb8— JC (@jcvd2000) May 28, 2019
水城(みずき)は、福岡県の太宰府市・大野城市・春日市にまたがり築かれた、日本の古代の城です。
白村江の敗戦後、大宰府防衛線として天智天皇が築いた防塁です。
白村江の戦い
朝鮮半島の白村江で行われた、日本・百済遺民の連合軍と、唐・新羅連合軍との戦争のこと。
天智天皇
日本の第38代天皇。一般に、中大兄皇子として知られる。
中大兄皇子は中臣鎌足らと謀り、皇極天皇の御前で蘇我入鹿を暗殺するクーデターを起こす(乙巳の変)。
また、皇極天皇の同母弟を即位させ(孝徳天皇)、自らは皇太子となり様々な改革(大化の改新)を行なった。
乙巳の変
乙巳の変(いっしのへん)は、中大兄皇子、中臣鎌足らが宮中で蘇我入鹿を暗殺して蘇我氏を滅ぼした飛鳥時代の政変。
大化の改新
乙巳の変に始まる一連の国政改革。豪族を中心とした政治から天皇中心の政治へと移り変わった。
水城 アクセス
JR水城駅から徒歩で1分
水城 スタンプ設置場所
水城館、大野城市歴史資料展示室
久留米城
久留米城は福岡県久留米市にあったお城で、有馬氏が約70年かけて完成させたお城です。
久留米城 アクセス
久留米駅から徒歩で15分
久留米城 スタンプ設置場所
篠山神社社務所