このブログを読んでくださっている人なら、何度か書いているので、私が都内の専門学校で講師をしていることをご存知かもしれません。
1月と言えば、高校生の人は、そろそろ進路を決める時期ですね。
今日は、そんな人に向けて、専門学校についてお話しようと思います。

最初に
私の専門はミキシングエンジニアなので、授業はレコーディングに関する内容です。
しかし、ここでは、そのような切り口ではなく、学校の運営方針や内情についての見地でお話しします。
そもそも、私は現在勤務している専門学校とは別の学校で講師を始めました。
又、それ以外の専門学校にも、履歴書を持って面接に行ったことがあります。
この経験から、学校によって運営方針や教育方針が違う事を痛感しましたので、ここでお話しします。
最初に勤務した専門学校
勤務していた当時は、ディズニーランドの方にあった専門学校です。
経営陣に大手楽器メーカーと大手広告代理店が参加しており、給料が一番良かったです。
講師に大物ミュージッシャンが名前を連ねており、現在も、副学園長に昭和の有名ミュージッシャンが在籍しています。
私が勤務していた時は、現在のように少子化社会ではなかったので、入学希望者は常に定員オーバーな時代でした。
通常、募集する定員は、教室の数や講師の人数などでやりくりが付く範囲で算出されます。
しかし、その学校では入学金さえ払えば全員合格させる学校だったので、新年度の授業開始時には、教室に入りきらない学生が廊下まで溢れている状態でした。
私の仕事上のポリシーは「自分が納得できるクオリティーの仕事をすること」です。
ですから、そんな状況で授業をするのはポリシーに反しますし、満足な授業ができるはずもありません。
と、毎年、お願いしていたのですが、帰ってくる答えは
旦那ぽん先生、新学期だから全員出席しているだけですよ。
これがGW過ぎるころには1/3は来なくなりますよ。
夏休み過ぎるころには半分の学生は来なくなりますから、それまで我慢して下さい。
という、耳を疑うような内容でした。
そんなやりとりが2年ほど続いて、私はその学校を退職しました。
そりゃ、専任の先生は専門学校でしか仕事をしていないから、学生が卒業しても「ハイ、さいなら」で済みますが、我々のような非常勤講師は、そうはいきません。
現場で卒業生と一緒に働くことが多いのです。
ですから、いい加減な態度で接していると、現場で卒業生に合わせる顔がなくなってしまうのです。
その学校は、順調に儲かっているようで、渋谷に移転したそうです。
履歴書と面接だけで辞めた専門学校
この学校は、現在でもテレビや電車内で広告を見かけます。
なぜ、面接だけで辞めたかと言うと、八王子まで出かけるのに交通費が出ないからです。
新宿に住んでいれば、交通費や通勤時間は許容範囲なのでしょうが、私のように関東地方の外れに住んでいる人間にとっては、ここは大きな問題です。
フリーでお世話になっていたスタジオの部長さんの紹介だったので、お付き合いで面接に行きましたが、学校に足を踏み入れた途端に「断ろう」と思いました。
良い意味でも、悪い意味でも、大学みたいだったからです。
良い意味とは、学校としてしっかりしているという印象を受けたことなのですが、悪い意味とは、学生との距離が遠く冷たい印象があったからです。
スーツにネクタイを強制されたことも要因です。
現在の専門学校
この学校は、数十年間、継続勤務しています。
ギャラは決して良くはありませんが、何より、講師の意見に耳を傾けてくれるのが最大の良い点です。
授業人数が多いと言えば減らしてくれますし、授業時間もこちらに合わせて調整してくれます。
又、1年間、担任を持ったことがありますが、非常に面倒くさかったです。
というのは、通常授業の後に担任業務があるので、出勤日は帰宅時間が11時を回るのです。
出席不良者の対応も、欠席3回で本人呼び出し、4回で保護者に手紙連絡、5回で保護者に電話連絡、6回で失格(定期試験受験資格なし)と保護者と学生をセットで呼び出し、又は学生宅訪問です。
更に、就職指導、進路相談や家庭内問題にも相談に乗るというハードワーク。
当時の学園長のスローガンが「担任は親代わり」でしたから!
おかげで、出勤日以外にノーギャラで出勤することが毎週1回はありました。
逆に言うと、それだけしっかりとした学校ということなのです。
ですから、高校の先生からの評価が高く、少子化の現在でも入学希望者が大幅に減少することはありません。
この記事は学校から依頼されたわけではありませんので実名を出すのは控えますが、現在勤務している専門学校は、自分が卒業した専門学校を含めて4校の中で、一番お勧めの専門学校です。